僕が20代前半の頃に聞いたお話です。人生の先輩は僕にこう言いました。「いいか〇〇くん、人生ってのは60分ドラマと同じなんだ」
今日はこんなお話です。
目次
人生は60分ドラマと同じ
僕は割と人のいうことを信じないタイプだ。明日は天気がいいと言われれば、すぐさまスマホを開いてその真意を問うようなことをしてしまう。
だが、この先輩の話は10年以上だった今でも心に響く。
「〇〇くん、いいか人生ってのは60分ドラマと同じなんだ」
僕は当時まだ20歳にも満たない子供だった。そんな過激な発言をする先輩を素直に「先輩!!かっけース」っとドキドキしながら話を聞いたものである。
5分だ! まだ生まれて5歳で君の人生はわかるかい?
ようは1分を一年と計算するらしい。当然このルールを言われた僕は困惑するしかなかったが、いつも先輩思いの可愛い後輩は「ドヤ顔」の前に「えーそうなんすね!」っとおだてて見せた。
人生ってさ、起承転結。君が60分ドラマを見ていて20分たったところで、結末を言い当てることが、できるかい?
割と「うざいな」思いながら、「えーできないっすできないっす」と冷静沈着にそしてこころの裏側を悟られないように、適当に返しておいた。
そこで先輩は割と僕の興味を引くようなことをポツリと言った。
でも、40分過ぎた頃はどうだろうか?もう結末が見えてるんじゃないか?
正直衝撃だった。確かにそうだなっと思ってしまった。60分ドラマだとして40分過ぎた頃にはだいたい、このお話はだいたいこうかなって予想ができることがほどんどだった。
そうまさに今僕は38歳だ。あと2年で先輩が言っていた「40分」にさしかかろうとしている。もう一度先輩の話を思い出してみる。
「40分、そう40歳だ。そこでまでの人生で、君の一生は決まる、40歳でいる役職が君の生涯の最終地点の役職だよ!!」
まさに今僕はまだ平社員のままである。特に役職があるわけでもない。今まで培ってきたスキルや技術もあるが、その経験を生かしてこれからもステップアップできていくのだろうか?
でもね、物語は最後までわかない。50分すぎに急展開なんでこともザラにある。
先輩のことは今も胸に残っている。もうお分かりだろうか?そうこの先輩の言葉は今よりも15年以上も前のことである。
そのことに今の終身雇用が揺らぐことが予想できただろうか?その頃に定年が70歳を超える事が現実になるかもしれないと危機感を持っていただろうか?
答えは否である。
当時1998年にはそんなことを信じて疑わない輩はいない。もう時代が違うのである。会社が家族を守ってくる時代ではなくなったのだ。
サービス残業は会社のため、自分の人生のためと信じて1日12時間以上もの労働に耐え、自分よりも賢くない上司のご機嫌を伺い、能力をひた隠しにしなければいけない時代ではなくったのである。
能力があるものは、もう囲いの中にいるべきではない。
ほとんどの人が毎年、自分自身に「課題」を持って挑んでいるだろうか?今年こそは自分の至らないところをアップデートして成長する。
これは会社から出る「数字目標」とは大きくことなる。自分自身とする「契約」だ。この世に生を受けて死ぬまで、人は成長しなければいけない。
それは「人間性」においても然りだし、持てる「技術」にもそうだ。そのところは人ぞれぞれだろう。だが聞いてしい。僕たちは「誰かのために生まれてきたんじゃない」これだけは確かに確信が持てる。
そう、確信が持てるのだ。これをここまで読んでくれた「あなた」なら理解できるかもしれない。そう「僕たちは自分自信が幸せになるために生まれてきたんだ」と。
君の人生は何分だ?それを決めるのは自分自身だということを理解しただろう?
君が守れるものは、残念ながらゴクゴクわずかだ。これは確かに言える。あの大金持ちのビルゲイツにだって守れるものはごくわずかだ。
この話が理解できるなら、君はもう手に入れてるはずだ。本当の幸せを。お金では買えないが、お金で守れるものがほとんどだ。
そんなことにも流石に気づいたろう?
わかるはずだ。今ではまるでダメだ。この日本に生きてきて、豊かな社会に生きてきて、このままではダメだって思ってるだろ?僕たちは本当に豊かだろうか?
僕はこう思う。
自分を信じて、あきらめい。ベストを尽くすんだ!
シャープペンシルの芯も震えながら、追加する不器用な僕だけど、これだけはわかったんだ。「自分を信じる」ことの大切さを。そして「諦めない」ことの重大さを。
この世界はどこまでもフェアだ。能力があればそれだけ、認められ、能力がなければそれまでだということを。君はどうだうか。冷静に「第三者」として自分の人生に時を刻めるだろうか。
僕には到底できない。怖くてそんなことができるようになるなんて、想像もできないが、今は。
そう今、この瞬間を生きたい。
人生がたとえ「60分ドラマ」だとしても僕はそれに抗ってみせる。僕には守りたい人がたくさんいる。誰も僕は諦めないし、これからも刻んでいく。
まとめ、ここが最終地点ではないと願うことの重要さ。
人がいうことに振りまわせるのは、ごめんだ。いつも自分で次の「選択」を自分の責任でやっている。言い訳は一切なしだ。
もし明日の自分が見れたとして「今日ベストを尽くさなかった」なんてセルフを僕は聞きたくない。いつもベスト尽くす自分が好きだからだ。
それは人から見たら色々と意見もあると思うが、僕は自信を持って言い返す。僕の人生は僕のものだし、君の人生は君のものだ。俺のすることに否定を持ってくんじゃねー。
どうだろうか?「人生は60分ドラマと同じ」という先輩の言葉を思い出して記事にしてみたが、今思えば人生のピークは人によってバラバラで、何度も来る人もいるが、一度も来ない人もいるっということだろうか。
だがそれも人それぞれである。では「幸せ」とは何か、単に左脳がそう感じさせるだけの幸せと、思うだけなのだろうか。
答えはまだわからない。